会社の歯車として働く日々、
いつか世のためなる商いを。
ToBuToRi
ジャーナリング

自分中心の生き方

今週の振り返りを見返すと自分のことを中心に考え、他の人のことには興味薄く生きていることに気がついた。

仕事仲間に対して

仕事は自分のことを実現するためにあり、その仲間も基本はそれが実現できると思えてこそ側にいたいと思えている気がする。

自分のことが実現されないとわかった時に、今と同じように付き合うことがあるのだろうか。

仕事が自分のことを実現するものでなくなったとして、ただ日々を過ごす時に、今の仲間が側にいたらどうなるのだろうか。

おそらくそれは、ただお給費をもらうがために日々を費やすと言った世界だろう。

なかなか想像が付かない。

与えられたタスクをただこなし、時間が進むのを待つのであろう。

そんな中に今の仲間がいるとする。

おそらく愚痴の一つでも世間話することはあるだろう。

しかし、それ以上はないのであろう。

振り返ってみたが、そもそも今ですら、仕事の内容と世間話程度の話しかしていなかった。

やはり、他人に興味がないのかもしれない。

妻について

妻にはどうだろうか。

妻とは幸せに生きていきたいし、喜ぶ姿を見たいと思う。

だから、そのために出来ることはやろうと思える。

自分の考えられる範囲ではあるが、妻のことを想い、色々なことを考えることはある。

しかし、全てを考えているかと言えばそうではない。

仕事をしている時間は考えていないし、自分のことを考えていることもある。

妻のことを考えるのも自分が楽しいと思える領域だけかもしれない。

そうすると、やはり自分中心に考えていると言わざるを得ない。

子供について

子供にはどうだろうか。

子供には喜んでもらえることをやろうと思えているようである。

しかし、それは自分がわかる範囲で楽しめる範囲になっている。

子供が恐竜のおもちゃで遊ぼうと言う。

しかし、イマイチどうやって遊べば楽しめるかわからない。

そうなると気分も乗らないし、長い時間遊ぶことができない。

他人に興味を持つこと

やはり自分は他人に興味を持つことが苦手なようである。

他人に興味を持たない理由の一つには人間関係のストレスがありそうだが、仕事仲間にそれは当てはまりそうだが、家族には当てはまらなそうである。

そうすると他に根本の原因があるのであろうか。

コミュニケーションが苦手だったり、心を開くと言ったことも同じ理由で違う気がする。

ふと俯瞰して自分を見てみると、日々忙しく、疲れていることにより、他人に興味を示す余裕がないのではないか。

だから自分のことで精一杯になってしまい、自分の関わる人のことをしっかり考えられないのではないか。

こういうことに気がついた時に、忙しくなくて疲れない日々を実現するのもなかなか難しいかもしれない。

しかし他人に興味を持つことは今後の人生を豊かにするためには必要だと思えている。(特に言語化できていないが)

であれば、もっと積極的に自分から他の人のことを考える時間を作るしかないかもしれない。

まずは、身近な家族から相手のことを考える時間を増やして行動してみようと思う。