会社の歯車として働く日々、
いつか世のためなる商いを。
ToBuToRi
ジャーナリング

自分のやりたいこと

今週の振り返りを見返すと何かを作り世の中に届けるということが自分はやりたいのかもしれないと思えた来た。

作ると喜ばれる

小さい頃から、何かを作ることが好きだった。

初めは模型を作ることや絵を描くこと。

それから料理やお菓子作りなんかもするようになった。

その辺りから続く何かを作りたいという欲求。

初めは何かを作り、そのものが形になることが嬉しかった。

だが、途中からそれを誰かに見せるということが起こるようになった。

それはお菓子作りをしている時だった。

初めはいつもと変わらず材料からそのものが作り上げられることが楽しかったが、それを人にあげると喜んでくれて、褒めてくれた。

単純に何かを作り上げて出来上がる喜びに、誰かが褒めてくれるという喜びが加わった瞬間だったかもしれない。

誰かの喜びのために

仕事をし始めたときは、プログラミングが楽しかった。

集中して、自分に振られた部分のプログラミングを行う。

それがそのうちできるようになり、予定より早く物事ができるようになる。

そうすると先輩など一緒に仕事をしている人たちが喜んでくれる。

そして、自分に期待してもらえるようになる。

そんな期待に応えるのが好きなんだと思う。

初めは新人なので、ちょっとしたことにも喜んでもらい、期待もしてもらう。

しかし、社会人人生を過ごすにつれて、そういった期待や喜びは当たり前のものになる。

ここ数年悩んでいるものの一つはこれなのかもしれない。

誰かの期待や喜びのために仕事をしたい。

だが、自分で仕事を回すようになり、自分で色々なものを決めるようになってくると、その期待や喜びはなくなっていった。

それを顧客に求めようとする。

しかし、顧客もお金を払っているのだから当たり前の対価だということで、そこには求めるような期待と喜びはないように思える。

本当に自分がやりたいこと

そう考えると、自分がやりたいことは昔から今も変わっていなくて、何かを作り、誰かに期待してもらい、喜んでもらうことなんだと思う。

しかし、今になり、何か日々もやもやするのは、自分に期待して喜んでくれる人の欠如なのかもしれない。

今の仕事は、そういった期待や喜びなどからはかけ離れた世界にいるかもしれない。

社内システムのコストを低減するために、お金をかけてシステムを外注する。

それを請け負う僕ら。

そんな中には、期待や喜びなんてものはなくて、ただ組織から命じられたことを粛々と進めていくだけの世界。

ここ数年悩み苦しんでいるのはそういったところなのかもしれない。

だから、別のビジネスモデルをと言いながら、他の世界を探そうとする。

しかし、それはここ数年難しいことがわかったことでもあった。

なので、もしかして何かしらのアプローチを変える必要がありそうだ。