テーマ:疲れるな、と思ったこと
疲れるなと最近思ったのは、新しいことに挑戦しようとする時と思ったのだが、少し違っていそう。
疲れるなと思うのは、自分の考えたことではなく、誰かの敷いたレールに乗ること。
仕事をしているとそんなことは良くある。
誰かがやってうまくいかなくて、その尻拭いをするようなケースや人事異動によりお鉢が回わってくる。
苦労は買ってでもしろと言われるが、それが本当に自分のやるべきことなのだろうか。
オープンマインドで、行こうと決めたが、自分がやりきれないとわかっていることをやるのが本当にオープンマインドでいると言うことなのだろうか。
期待をかけてくれるのは、本当にありがたい。
しかし、それは本当の期待なのかと思う。
組織の力学により、決められた期待なんて心のないものだと思う。
自分が本当にやりたいことは、そんな心のない期待ではなくて、心の通った期待に応えることだ。
自分の正しいと思うことをやりたい。
それは、本当に心のこもった期待に応えることだ。
そうでないものを受け入れて本当の期待に応えられなくなるのは、本末転倒であると思う。
振り返り
自分の中の正義
自分の中の正義は、ただやれと言われてやるのではなく、自分の頭で考え納得した上で物事に当たることである。
それは何か期待をかけられた時もそうである。
新しい期待をかけられたからと言って、古い期待が書き換えられるのはおかしなことである。
応えようと思った期待は自分の正義に基づいて決定したものだ。
それに応えきれていないのに、次の期待に応えようなんて言うのは自分の決めた正義に背くことだ。
他者からの期待
仕事をしていると色々な期待と出会うことがある。
そんな期待には質の違いがあると思う。
ある期待は自分にしかできないものとして切実な思いのもとかけられるもの。
ある期待は形式上、その人を鼓舞するが如く、呪文の如く発せられるもの。
当然誰かに何かをやってもらう時には、その人に期待する。
だけど、その期待は心底のものであるかと言うとそうでない場合が多い。
別にそれをやっている人ならば誰でも良いのである。
その役割を果たす人なら誰でも。
自分が本当に応えるべき期待は、そういったただの役割に対する期待ではなくて、イチ個人としての期待である。
そういった期待をどのくらいかけられているのだろうか。
実はそれは自分ではなかなかわからないものかもしれない。